管理人の罹患歴

大人アトピーが治るまで

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管理人のアトピー罹患歴についてまとめました。ステロイドやプロトピックの濫用で重篤化、難治化し、副作用に長年苦しめられました。薬をやめた経緯や、その後の再発についても書いていますので、薬の中止を検討中の方や、再発した方の参考になるかと思います。

上京してアトピーに

20代で発症した湿疹が、ステロイドで成人型アトピーに変わる

わたしのアトピー歴について、ざっと説明します。アトピーの具体的な手当てとは関係ありませんから、時間や興味のない方は飛ばしてください。

20代後半で上京して数カ月後のこと、おでこにしつこい湿疹ができました。当時はステロイドに関する知識がまったくなく、「液体ムヒ」を繰り返し塗って対処していましたが、やがて背中やお腹にも湿疹が広がっていきました。いま思えば、コンビニ中心の食生活と生活リズムの乱れからくるものだったのでしょう。が、当時はそんなこととは露知らず、皮膚科の扉を叩きました。

座っていたのは、きれいな女医さんでした。

「あなた、アトピー?」
「いえ、違いますよ」
「念のためアレルギー検査してみましょうか?」

寝耳に水でした。生まれてこの方、アレルギーとは無縁の人生を送ってきたのです。検査結果はやはり、ハウスダストにわずかに陽性反応があるくらいでした。総IgE値も基準値内。ステロイドを処方してもらい、帰ってそれを塗ったら、ひとまず湿疹は治まりました。

これが地獄の入り口と気づくのは3年後のこと。

湿疹はすぐに再発し、ステロイドを塗布します。その繰り返し。このままではいけないと感じ、大きな病院で調べてもらったけれど、やはり原因はわからずじまいでした。そこでもステロイドが出されますそうして症状が徐々にひどくなっていき、1年後に門をくぐった別の病院で再度アレルギー検査を受けたところ、なんと検査項目にある抗体のほとんどに高い陽性反応を示しました。総IgE値も、健常者のレベルをはるかに超えていました。

なんとかしなければならない……。焦りは日増しに強くなり、ドクターショッピングの日々がやってきました。けれども一向によくなってくれない。どの病院でも判をついたようにいわれるのが、

「アトピーは一生治らないから、薬でコントロールするしかないよ」

アトピーは治らない、この言葉を聞くたび、背筋が凍りつく思いがしたものです。

仕事の忙しさもあって、有効な対策を打てないまま3年が経過しました。そのころにはいちばん強いステロイドも効かなくなり、顔だけはプロトピックでなんとか抑えていたものの、頭髪は抜け、あちらこちらで硬貨大の脱毛が起こり、首から下は象皮症と色素沈着と炎症の嵐。ハードワークと寝不足続きでもうへとへとなのに、それでもかゆみで3時間以上続けて眠れない。とにかくものすごいありさまでした。

プロトピックで腎臓病!? 副作用の怖さを知って断薬を決意

ある日、初めて訪れた病院で、プロトピックを2年ほど使っていることを告げると、出し抜けに腎機能を調べるための血液検査をされました。プロトピックを長期間連用すると腎臓に障害が出る可能性があるというのです。これまで何人もの医師の診断を受けましたが、そんなことを教えてくれた医師はいませんでした。

これを聞き、外用薬だからたいした副作用はないだろう――医師からはそんな説明を受けていました――と高をくくっていたことを猛烈な反省。薬の副作用について真剣に調べはじめました。

出るわ出るわ。

恐ろしくなり、もはや薬が効かなくなっていたことも手伝って、結婚を機に薬をやめることを決心しました。妻の協力を得て、一気にステロイドをやめ、その後、プロトピック、抗ヒスタミン剤と順に中止。リバウンドは、それはもう怒濤の激しさでのしかかってきました。

しかし薬をやめればアトピーは治ると強く信じ、デトックスのためにサプリメントや健康食品を買い込み、独自のスキンケア法(塩浴や塩マッサージ)を編みだし、海水浴、日焼け、サウナなども駆使しながら、なんとか断薬期間を乗り切ったのです。

財布の紐は固いほうなので、さほど高額なものには手を出しませんでしたが、それでも全支出額を積算してみると相当な額になると思います。われながら必死だったのだとあらためて感じます。

まともに眠れるようになったのは断薬から3年くらい経ったころ。気がつけば、症状の8割方が治まっていました。リバウンドが終わると症状はぐっと軽くなり、湿疹なども時折少し出るくらいでしたので、その後の数年間はたいした対策はとりませんでした。ちょっと湿疹が出たら、入浴時に自然塩でマッサージするくらいで治まっていました。

それからの数年は小康状態を保ち、平穏な日々が流れていきました。ところが数年前――。地獄のような、アトピーの再発が待っていたのです。

数年後、いきなりのアトピー再発

突然それはやってきました。皮膚に湿疹があらわれ、やがて全身のあちこちが青紫に染まり、それが広がるに伴って、蕁麻疹を併発。激しい頭痛にも襲われるようになったのです。2週間に1度くらいのペースで、高熱が出ました。

薬をやめてからずいぶん時間が経過していたため、リバウンドとは考えにくいのですが、しかしまったく原因がわからない。手始めに煙草とお酒を断ちましたが、好転の兆しはありません。食事を見直し、毎日激しい運動を行ない、漢方薬、お灸などにも手を出しましたが、坂を転がるように悪化していきます。しかし、わたしはそれを都度、メンゲン反応(好転反応)だと思いこみ、やがて違ったと気づく。そんなことを繰り返していました。

最終的には瀉血療法に手を出しました。後述しますが、瀉血は汚れた血を専用器具で抜きとるという治療法で、卓効があります。が、やめどきがわからず、これしかないと信じて続けた結果、わたしは死にかけました。ひどい貧血で歩行困難となり、トイレに行くだけでも息切れする始末。最後は、本当に命を失いかけたのでした。

独自の方法論で、アトピーを完治させる

わたしはなんとか九死に一生を得ました。これまでもアトピーの改善には本気で取り込んできたつもりでしたが、不死鳥のように死の淵から蘇ったわたしは、あらためて腰を据えて過去の体験を検証し、まずは完治した人たちの体験談や書物を猛烈な勢いで読みあさりました。

アトピーだけでなく、皮膚疾患全般、生活習慣病全般、栄養学などに関する書物や雑誌記事を読みあさり、無数の研究論文に目を通しました。洋の東西、古今を問わず。仕事柄、医療関連の書物や学術論文、研究論文などに当たることが多かったのも幸いしました。

試しに栄養学関連の資格を受けてみたら、なんの勉強もせずぶっつけ本番で合格するくらいの知識が身についていました。

食生活アドバイザー2級の合格証

社団法人FLAネットワーク協会認定「食生活アドバイザー」2級の認定証(といっても1級があるわけでなく、なぜか2級と3級しかない)。さしたる資格ではないです。なんていうと、検定事務局や受験者の方々に失礼ですね。でも合格率は2級35%、3級65%です。難関資格ではない。でも「食」全般にそれなりに通暁していないと合格できません。試験会場でほかの受験者(女性が圧倒的多数)に聞いたら「テキストを買って、半年勉強した」とか「2万円する講座に通った」なんていっていましたから。なお食生活アドバイザーとして活動しようという意志はわたしにはありません。ただ、このブログは最低限の見識と基礎知識をもって運営されていることをご理解ください。

そして、このころには「アトピーは不治の病」という固定観念は、頭のなかからすっかりはがれ落ちていました。

アトピーの原因と治し方を見つけた

わたしは確信しました。

  • アトピーになったのにはれっきとした理由があった。
  • 自分で治せる。
  • 自分にしか治せない。

書物などを通して、信頼できそうな専門家や自然療法家、研究者らの思考方法を追体験したのち、アトピーを完治させるための方法を組み立てました。それを淡々と実行に移しました。もうこれしかほかに手がない。不退転の覚悟でした。

100日後、十数年にわたってわたしを振りまわしてきたアトピーと、ついに決別することができたのです。